わたしはここ十数年の間、二つの肩書きを持って仕事をしてまいりました。一つはグラフィック・デザイナー、もう一つは佛画家です。
しかし、最近しみじみと思うことがあります。それは天が何もできなかったわたしを選んで、仮にでも佛画家と呼んでいただけるようになれたことです。人間としてこの世に生を受けたからには、必ず使命があって、何かひとつでも皆さまのお役に立てることが出来る人間にならなければ、と思ってまいりましたが、それが自分にとって何なのか、気が付かないで生きておりました。わたしに気付かせてくれたのは、母の死でした。母の死が機縁になって、ライフワークを見つけさせていただいたのです。
わたしがグラフィック・デザイナーだと知っていらっしゃる方はとても少ないのです。
わたしを佛画家、そしてグラフィック・デザイナーとして認めてくださり、あらゆる面でご指導してくださっている恩師に、さくら銀行の名誉会長(注)でいらっしゃる小山五郎さまがいらっしゃいます。
初めて銀座で開いた個展のときからのお付き合いですから、早いものでもう十四年になります。ヨーロッパの個展も、ニューヨークのときも、それは大変にお世話になりました。特にニューヨークのオープニングには桜の木をメインの千手観音に添えていただき、青い目の人達を楽しませてくださったのが、今でも脳裏に焼き付いています。
わたしが今、佛画の制作に専念できるのも、小山さまのお力添えがあったからです。いつでも何かありますと、気軽に相談にのってくださり、とても多くのことを教えてくださいました。人間としてふみ行うべき道、佛さまを描くこころの持ち方、健康のことなど書けばキリがありません。
デザイン事務所を整理する事が、新聞の記事に載ったとき、「君はこれでいいのだよ。」とおっしゃり、心から喜んでくださいました。
その小山さまも、わたしのことを佛画家とばかり思っていらっしゃいました。画集が発刊され、お届けに伺うと、装幀のデザインに眼をとめられ、はじめてわたしがグラフィック・デザイナーでもあることをお知りになりました。菩薩像や、多くの佛さまを描かれることで有名な小山五郎さまは、きっと観音さまのご友人、いや観音さまそのものでいらっしゃるのだと思えてなりません。
Vol.1 母の画は観音さま
2008-01-26 05:50:24 (4 years ago)
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- 武田仁エッセイ
わたしは、これまで数多くの佛さまを描かせていただきましたが、どうしても超えることのできない一枚の画があります。それは”母”という名のついた佛画です。
わたしを佛画制作の世界に入れていただくことになった思い出の作品です。この画は、まったく偶然に佛さまとしてでなく、母の顔を心の中で描いていたものが、ある日突然にわたしのスケッチブックの中に現れたものです。
今、考えても不思議でならないこの一枚。この一枚の絵がなかったら、今どのような生活、また仕事をしていただろうかと思うのです。この一枚の絵が、あらゆる多くの方々とご縁を結ばせてくださり、また様々なことを教えてくれました。わたしの人生を次々と変えていってくれました。
スケッチブックに現れた母の顔を、どうしても大きく描きたくなりまして、パネルいっぱいに細い線で仕上げると、家の壁に掛けておきました。仕事で夜中に帰ることがよくありましたから、そのような時は、家族が寝静まってから、一人で軽く飲みながら、この画と話すようになりました。それは、母が生前よくわたしのことを心配していてくれたのが忘れられなかったからだと思います。
こんな事もありました。入院していて、身体を動かせられるような状態では絶対になかったと、主治医の先生はいわれましたが、そのような時でも、わたしに「お前が困っている夢を見たから心配で・・・」と電話をかけてきました。公衆電話は病室から、かなり長い廊下の突き当たりにありましたから、あのような力がなぜ出せ、又、歩いて行けたのか、今、思い出しても不思議でなりません。
佛教の教えでは慈悲の非は抜苦で、母親の愛情にたとえます。まさに母は、わたしが苦しんでいる夢を見て、あのような力が出せたのではないでしょうか。そのような母でしたから、あの画と対話ができたのだと思います。
母の画を佛さまとして合掌して下さったおばあさんのお陰で、佛画を描き始め、多くの人達とご縁ができました。
初めての個展の時に、お祝に来てくれた友人で女優の真野響子さんが”母”の絵の前でお母さんと一緒に手を合わせて下さっている姿は神々しく、まるで映画の一シーンを観ているようでした。
世界中の人々が、この”母”の絵の大きな瞳に凝視されれば、こころが落ち着き、平和な気持ちになってくれることと思います。やはりこの母を描いた最初の一枚目の佛画”母”は観音さまなのではないでしょうか。
わたしを佛画制作の世界に入れていただくことになった思い出の作品です。この画は、まったく偶然に佛さまとしてでなく、母の顔を心の中で描いていたものが、ある日突然にわたしのスケッチブックの中に現れたものです。
今、考えても不思議でならないこの一枚。この一枚の絵がなかったら、今どのような生活、また仕事をしていただろうかと思うのです。この一枚の絵が、あらゆる多くの方々とご縁を結ばせてくださり、また様々なことを教えてくれました。わたしの人生を次々と変えていってくれました。
スケッチブックに現れた母の顔を、どうしても大きく描きたくなりまして、パネルいっぱいに細い線で仕上げると、家の壁に掛けておきました。仕事で夜中に帰ることがよくありましたから、そのような時は、家族が寝静まってから、一人で軽く飲みながら、この画と話すようになりました。それは、母が生前よくわたしのことを心配していてくれたのが忘れられなかったからだと思います。
こんな事もありました。入院していて、身体を動かせられるような状態では絶対になかったと、主治医の先生はいわれましたが、そのような時でも、わたしに「お前が困っている夢を見たから心配で・・・」と電話をかけてきました。公衆電話は病室から、かなり長い廊下の突き当たりにありましたから、あのような力がなぜ出せ、又、歩いて行けたのか、今、思い出しても不思議でなりません。
佛教の教えでは慈悲の非は抜苦で、母親の愛情にたとえます。まさに母は、わたしが苦しんでいる夢を見て、あのような力が出せたのではないでしょうか。そのような母でしたから、あの画と対話ができたのだと思います。
母の画を佛さまとして合掌して下さったおばあさんのお陰で、佛画を描き始め、多くの人達とご縁ができました。
初めての個展の時に、お祝に来てくれた友人で女優の真野響子さんが”母”の絵の前でお母さんと一緒に手を合わせて下さっている姿は神々しく、まるで映画の一シーンを観ているようでした。
世界中の人々が、この”母”の絵の大きな瞳に凝視されれば、こころが落ち着き、平和な気持ちになってくれることと思います。やはりこの母を描いた最初の一枚目の佛画”母”は観音さまなのではないでしょうか。